中秋の名月眺め、感じる旧暦の時

2002/09/12


 「名月や 池をめぐりて夜もすがら」と詠んだのは松尾芭蕉です。いつの間にか、中秋の名月を迎えるころになりました。月にかかわる身近な話題をご紹介しましょう。

 私たちが使う暦は地球の公転運動を基にした太陽暦で、日付と月の形とは無関係です。しかし、明治五年までは、日付と月の形に深い関係がある旧暦(太陰太陽暦)を使っていました。この暦は1年が十二または十三か月という不安定なものでしたが、三日に見える月が三日月で、逆に三日月が見えればその日は三日というものです。日付と月の形が一致するので、万人にわかりやすいという一面を持っていました。

 


十五夜の月

 昔から伝わる年中行事に中秋の名月を眺めるお月見があります。この名月は旧暦八月十五日の月で、今年は九月二十一日がその日に当たります。十五夜の月という呼び名も旧暦の日付から来ており、新月から15日目のほぼ満月です。ほぼ満月ということは、太陽が沈むと反対の東から中秋の名月が昇ってきます。この名月をススキとお団子、里芋などの収穫された農作物をお供えして眺めるのがお月見で、今年の収穫を神に感謝する行事であったわけです。
 宴を開きながら、冒頭にあるような即興で名月の和歌を詠むことも行われていました。また、官家の女中の作法に、「芋に箸を通して穴を開け、そこから月を見て次の歌を吟じること」ことがありました。次の歌とは「月月に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」です。

 

 お月見は、現代でも地方により奉納相撲が行われるなど多少のスタイルの違いはありますが、収穫の秋を喜ぶ行事として広く行われています。
 名月の翌日は旧暦八月十六日で、この日の月を十六夜(いざよい)の月といいます。さらに翌日の月を立待(たちまちづき)月、以降を居待(いまちづき)月、伏待(ふしまち)月、寝待(ねまち)月といいます。この名称は、月の出の時刻が毎日30分から50分づつ遅れることを上手に表していると同時に、日ごとに月を楽しんでいたこともわかります。
 また、月待(つきまち)という年中行事もあり、東北地方では明治の初め頃まで盛んに行われていました。この行事は、旧暦の正月、五月、七月、九月の二十三日に同好の者や町内の者が集い、信仰として月の出(午前零時ごろ)を迎えていました。各地に残る二十三夜塔はこの名残です。


二十三夜塔(郡山市の阿弥陀寺)

 

 たまには月の模様を楽しんだり、月の出をゆっくり眺める時間を持ったりすることも必要ではないでしょうか。特に月の出の場所は、一日の違いで驚くほど位置が変わります。
 

(天文係 木村 直人)

2002年9月10日 読売新聞福島版 「星のある風景」より