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1985年から86年にかけて、日本全国のみならず世界中をフィーバーとしたハレー彗星は、日本では観測条件が良くなく、 当時小学生だった私は結局見ることができなかった。望遠鏡をやっとのことで買ってもらい、まだ夜は寒い3月の夜明けに家の屋上で家族そろって血眼になって探したが、夜空に見える星座もろくにわからず、見られるとされる南の空低いところをただ途方に暮れながら眺めて夜明けを迎えたのである。 その後、せっかくの望遠鏡で月食や火星の大接近を見ているう ちに、星を見る楽しさを少しずつ覚えたのだがハレー彗星を見逃した悔しさはずっと心の奥に残っていた。 そうして高校生となり受験を控える頃、ヘール・ボップ彗星というとてつもなく大きい彗星が数年後にやってくるらしいという 情報が入ってきた。たぶんなっているであろう大学生の頃に憧れの大彗星に対面できると、ひそかに心待ちにしていた。 |
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大学受験も大詰めの頃である。1995年12月と翌96年1月に日本人の百武裕司さん(故人)が立て続けに2つの彗星を発見したという。そのうちあとで発見したほうは、地球にかなりの距離で近づき、それなりに明るくなりそうだと話題になった。 そうなると心はまもなくやってくるという彗星の雄姿・・・。受験がひと段落した3月下旬は山に行き、彗星の姿を少しでもよく見ようと準備をはじめた。(今から考えてもなんとも不真面目な受験生であった・・・) 彗星の写真を撮るなら、望遠レンズが必要だろう、せっかくだから友達と合宿だ、と4日間の山ごもりを決め、電車を乗り継いで行った山奥では天気快晴で夜を迎えた。 そこで見えたものは・・・、予報を大幅に上回る夜空に長く横たわる百武彗星の姿である。北の空に見られた百武彗星はほぼ一晩中見ることができ、しかも北の空から南の空まで、夜空にアーチのようにかかる尾の長さに度肝を抜かれたのである。 |
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ただただ一晩中呆然と見上げた1996年3月の百武彗星は、それまでの彗星への心の餓えを満たしてくれた以上に、ひどい寝不足をもたらし、その後の人生をも決定的に変えてしまったのである。 |
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(事業課 安藤 享平) |
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